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マンボウズボン

2011年9月13日火曜日

9期 四四人

9期(昭和34年卒)のころ
今日から、つれずれなるままに西高時代の思い出とそれにまつわる自分の感じたことを綴ろうと思う。私は9期生ですが、同じジェネレーションの皆さん、それに関して皆さんが感じたこともぜひ寄稿してください。

1.マンボウズボン
私達の小中学時代には街にはパチンコ屋が数多く出始め、敗戦による物資の欠乏に耐えてきた煙草を欲しがる大人たちの格好の遊び場であり、中からガンガン鳴らす軍艦マーチや春日八郎のお富さんの音を耳にしつつ通学したのを覚えている。ラジオが娯楽の中心であり大相撲、野球、落語、漫才、クイズ番組(20の扉)はもちろん、鐘の鳴る丘、笛吹き童子、君の名はなどのラジオドラマは老若男女を問わずそのテーマソングを口ずさみ、夢中で聞き入ったものである。

高校時代は来るべく東京オリンピック・新幹線開通に向けて戦後経済復興の真っ只中,街には青春歌謡[高校3年生]や[美しき10代]が流れ、歌謡曲は勿論,ロカビリー、マンボウがブームしていた。マンボウブームに合わせて、女子も男子もズボンの裾を細くしていたのを思い出す。私の場合は友人がミシンをかけて改造してくれた。当時の西高は制服がなく自由であった。このマンボウズボンに纏わる伍四人の渋谷さんの思い出は面白い。ぜひ一読されたい。